NARAFOODSHEDと五ふしの草の共同制作で特別連載。
食べることを深く知り、考え、作り手や届け手、食べ手の思いを聞くことをテーマに、街のファーマーズマーケットやファームスタンドがガイド的に寄稿、連載するルポルタージュ「マーケットの向こう側」。マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、奥行きに触れていただけたらと思います。今回はoyatsu somayaさんです。
/ 聞き手: 船尾佳代 / 写真:中部里保 /編集: 榊原一憲
3メートルの柵で守られている20センチのブルーベリー。
鹿対策で3メートルの柵で囲まれた畑に案内していただいた。やはり山あいは鹿などの動物との折り合いが難しい。
草をかき分けて一本の小枝のような20センチほどの木を見せてくださった。
太材 ここにきて3年、苦楽を共にしたブルーベリーなんですよ。ずっと一緒。でも一晩で鹿にかじられまくってしまって。やっとちょっと新芽出てきてくれて、ほんま嬉しい。かわいいんですよ、こいつがまた。鹿にかじられないようちょっと草生やして隠してるんです。
ちょこっとかわいい黄緑の芽が出ている。一見すると草が生えているだけ?と思ってしまう畑の中に、よく見るとたくさんいろいろな木や野菜が隠れていて、夜な夜な鹿たちの宴が行われるのもうなずけるほどに畑は豊かだった。ブルーベリー、いちじく、すもも、ひよこ豆が植えられ、桑、イタドリ、フキ、山椒、三つ葉、よもぎなどが自生し、少し離れたところには茶の木や栗の木も元気に育っている。さらにハウスの中には、温床(落ち葉や米ぬかを重ねて発酵させるところ)の熱を利用して育てられたたくさんの苗たちが並ぶ。
― たくさんの種類のお野菜と、ケーキやお菓子を作っていらっしゃる oyatsu somayaのお二人、岡本太材(たかき)さん、梨衣(りえ)さんご夫妻の畑にお邪魔させていただいた。oyatsu somaya を始める経緯を伺う。
直接的に命を奪っている感覚を持ちづらいと思った
太材 前職は雑貨のセレクトショップの社員で。そこで妻も一緒に働いていました。そこで4年ぐらい働いてて、ちょっと体壊したタイミングあって。それが岐路でしたね。元々奈良県も何か盛り上げられへんかなと思っていました。何か…うまいもんなし県とか、鹿しかおらん県とか、大仏か鹿みたいなことばっかり言われるじゃないですか。何かもっと奈良を盛り上げられることできないかなと、ずっと漠然と、高校生くらいから思ってたんです。奈良県のために何かやりたいなとか、魅力発信できるようなことをしたいなと思ってて。体壊して、復職するかどうか悩んだんですけど、いやもうちょっとやりたいことやろうと思って。奈良でカフェをしようと思ってました。うちのおじいさんとか昔、畑やってて、その採れたての野菜の美味しさは、やっぱりスーパーとかとは全然違うし。人間ってやっぱり、食は絶対にいるものやから。活力だから。そして食と農は切り離せへんとこで。最初カフェだけと思ったけど、いやもう食材から作ろうと思って、うちのおじいさんみたいな美味しい野菜作りたいなと思って。
太材 縁あって宮崎市の有機農業の農業法人で働けることになりました。妻がついていくと言ってくれたのでそのタイミングで結婚しようってことになって。宮崎では僕は農業、妻は飲食、それぞれ勉強しました。宮崎は農業が盛んで、食料自給率が200パーセントだとか。農薬に頼らない栽培方法を勉強出来ると思って行きました。でも、病気が蔓延したりすると、いたしかたなく農薬をかけることもあって。最初はJAS規格でもいけるような農薬。それでは病気や虫の食害を抑え切れなくて、次第にもっと強力な農薬を使用しないといけなくなる。その中で、「薬はかけたくないけど、これをかければ何とかお金には換えられる」という会話になりました。そこで「農薬は最後に頼れる物で、農家の精神的な安定の役割もある」と感じました。実際、農薬を散布すると虫がのたうち回って溶けて死んでいくのを目撃して。それは初めての体験で衝撃でした。農薬は効率よく虫も殺せるけど、直接的に命を奪っている感覚を持ちづらいと思った。命を奪うことを否定している訳ではありません。「殺す殺される」で成り立っているのが自然界なので。こちらも生きていくためには、他の命を奪って生きていますから。でも何年か体験してみても、どうしても慣れていくことはなかったんです。
だから農薬を使わないでやるにはどうしたらいか考えて、追求したいと思っていました。自分でしっかり勉強せなあかんわって思って。だからその農業法人で働いているときも、こそっと自分できゅうりを隠して種とってみようとか、F1の種をとったらどうなるのかとかいろいろやってみました。やれるだけ実験しようと思って。せっかく宮崎まで来たんだし自分でどんどんやっていかないとって思っていろいろやっていましたね。
太材 あと、働きながらずっと違和感があって。堆肥とか屋根なしの所で管理してたのもありますが、完熟ではない状態で畑に入れたり、土壌分析かけて、かなり窒素過多となっていても、堆肥を減らすことで作物ができないのが怖いからまた何トンも施肥したり。これは土壌や河川の汚れにつながらないのか、とか、、農業資材のごみとか、冬場のビニールハウスの暖房費も気になるところでした。農業資材を使うのは商業的な農業には必要だし、仕方ないけれど、自分で作ったものを自分や極々身近な圏内の人々に食べてもらうという本来の循環の中で、栽培に多額のお金がかかるのに違和感があって。そもそも食、農業って生きていく上で絶対必要なことじゃないですか。生きていく上での根源としての農にたくさんのお金がかかるっていうのはそもそも生きていけないってことじゃないのかなって思って。それがすごい違和感で、お金から切り離したやり方できひんのかなって考えていました。種も値段がめっちゃ上がってるけど、お金なかったら種買われへんっていうのはおかしな話やなと思って。
― 初めて関わった農で、思い描いていたこととのギャップに悶々としながらも、こっそり実験や観察をして、経験を自身の理想につなげようとされていた。この農業法人で働いていた期間も自分にとってとても大きいものになったとおっしゃっていた。嘆かずあきらめずなんかやってやろうと、置かれた環境の中でできるベストを探す。ではどのようにして今の農法の基礎を身につけられたのだろう。
太材 すごい師匠がいるんです。僕が行ってた農業法人を卒業した人が自然と調和のとれたやり方で独学で農業してはるって聞いて、そこ紹介してもらって畑行かせてもらったときに、ほんまにもう、草の中に野菜あって。畝の草たちはお互い邪魔することなく生えているのに野菜には同じように適用できないのかって、共存共栄関係でできないのかなってずっと疑問に思っていたんですけど、その疑問が晴れたような気持になりました。散々、自然農とか自然栽培はできひんって言われたんですけど、こぼれ種とかで出てきてる人参とかもあって。農業法人ではあんなにおばあちゃん、おじいちゃん勢ぞろいで草とってたのに、草の中関係なく、こんなに人参生えるのってできるどういうこと?ってびっくりしたと同時に、やっぱできるやん!って嬉しくなって。草のなかでうまいことでバランスとってやってはった。めっちゃ教えてもらいたいと思って、教えてくださいって言って、1年間そこに行かせてもらって。そこは一緒に作業させてもらうってことで、お金はないんで生活費を稼ぐために野菜居酒屋でバイトしてました。宮崎は3年のうちの2年は農業法人で1年はこの師匠のところです。
太材 すごい職人っていう感じで仙人みたいな人で。種も繋げて自然のやり方でやってはった。実際、野菜も美味しかったから、飲食店とかから卸してしてくださいって言ってくるんですけど、ここには卸したくないとか言うんですよ。色とか形しか見ないのは料理人失格やって思ってはって。師匠自身、何十年も料理してはるんすけども、お酒にも精通してて、提案もできるから、飲食店の人たちが「うちに卸してください」って頼ってましたね。信頼されてた。農家って、野菜を自分の子どもと思ってるから、美味しく、食べてくれるところに行ってほしいなと思う。やっぱり勉強熱心じゃなかったり、全部どうしたらいいかって頼り切ってる飲食店は断っていましたね。売るのを断る農家もいるんです。僕は「野菜売るんやったらこういう使い方とかできますよって提案したらいいですよね」とか言ってたら、「いやそれはもう消費者甘やかしすぎだ」と怒られて。「野菜の使い方は自分で確認できる人に売った方がいい。」って厳しいことも言ってました。その人からブルーベリーとかもらったんですよ。僕が帰るときにブルーベリーを挿し木して持たせてくれたんです。
― 冒頭の、小枝になってしまったあの20センチのブルーベリーは師匠から分けてもらったものだった。
太材 あんなことになってるなんて師匠にはよう言わんけど。よう言わんけどなんとか芽はでてきてくれから、ほんまよかったーって思ってて。そういう思いの詰まったブルーベリーなんですよ。だからそれを繋いで、ここでできたやつを送ろうと思ってて、ほんとは今年送れるはずやったんですけど、あの状態に…
太材 師匠の話に戻りますけど、職人肌だけどすごい優しい人でね、ほんとめっちゃいい出会いでしたね。師匠の畑はほんまに感動しました。師匠の畑はずっと居れるんです。居心地がよくて。草や虫を敵としない自然な考え方だけど、その瞬間に何かあらゆるものから解放されたような気持ちになりました。色んな草が生えてて、色んな虫がいて、それが当然やなと。「草見つけたらひけ」やったから。ちゃんと虫がいる生活圏もちゃんと残さないと。自分も経験してるけど、やっぱり全部取ったら絶対やられるんですよ。野菜しか食べるもんなかったら、虫は野菜食べますよね。奪ったら奪われるからちゃんとそこは考えて、やらなあかん。半分ずつ刈って、次こっち刈って、すみ分けて。全体の調和を考える、その場やその畝だけを見るんじゃなくて、自分が身を置く自然全体を俯瞰して見るという考え方が大事というのを学ばせてもらいました。
生命の生き死にを見てその場に立ち合えることが魅力だなと思います。
― ご自身の農業の礎になった宮崎の師匠のもとでの経験はどう生かされているのだろう。
太材 僕らは耕さない、農薬は使わない。自然農がベースですが、色々な生命がいて、そのバランスを極力壊さない農法です。僕の畑の師匠は共生栽培と名乗ってたので、共生栽培にしようかなと思います。
肥料も使いません。様子見ながら米ぬかとぼかしをちょっと置いたりとかはしています。ぼかしは自分で作ってて、村の米ぬかと油かすを使って、発酵させて仕込んでおくんですけど、それは即効性があるんですよ。米ぬかは効くまでに時間がかかるので、育てる作物で使い分けています。育つスピード落ちたと思ったら結構草をしっかり生やして、それをまた刈って敷きます。「あそこは、半期休まそうか」とか考えて、土力回復させてからまたやるとか。畑の様子見ながらですね。経験から思いつくこともあって、オクラの採り終わった茎ってめっちゃ硬いじゃないですか。なかなか土に還らないんですけど、畝と畝の間の通路に置いてたら歩くとき踏むんで。あっという間に柔らかくなってほぐれるんです。それを痩せてるなって思うところとか、野菜を植えるところに持っていくんです。こんな風に、木みたいな硬い茎も草堆肥に変えて使っています。経験の中でうまくいくことを見つけられれることもあるし、いろいろ調べたりします。YouTubeとかも。今は便利な時代やから、色んな媒体から勉強してます。
太材 でもやっぱり自分の畑を知るってのが一番近道かなと思います。どんな特性があるかっていうところ。畝の設計をむちゃくちゃ考えるんですよ。畝って南北で立てるのがセオリーやけど、うちは斜面で傾斜あるやから土が流れちゃうんですよ。僕らは耕さへんし、ずっと表層に肥沃な層を作っていく作業するから、土流れたらめっちゃもったいないので、せき止めるように畝を立てたりとか。そしたら、手前に背高いもの植えたら、後ろ日当たり悪くなるから何をどこに植えようってめっちゃ頭使ってます。虫に関しては今はかなり大変だけど、1匹ずつ補殺しています。自分も他の命を奪って生かされている、自然の循環の中の一員だと実感出来て、このやり方が性に合ってるなと思います。今の社会の生き方は命を頂いているという実感が湧きづらいんじゃないかな?と感じています。そうなってしまうのも当然の事なんですが、スーパーには既に捌かれた鶏肉や豚肉、魚が並んでいます。野菜もしかりです。種を残そうと必死に生きている野菜の生命を奪い、食べる事で僕たちは生かされています。畑では、生命の生き死にを見てその場に立ち合えることが魅力だなと思います。
― 宮崎で学んだことがそのまま奈良の曽爾村で通用するわけではない。農業の技術もだが、そもそもの自然や畑と関わる姿勢を学ばれたのだなと。師匠との関わりはまだ続き、農家さんたちとの新しい関係も生まれる。
太材 わからないことがあれば師匠に電話して相談します。これこうなんですけど、そっちどうしてます?とか聞いたら、めっちゃ考えて教えてくれます。師匠以外にもそういう仲間も何人か九州にいるんで。福岡とか、宮崎はもちろん。半分自然農で半分鶏糞入れてる人とか、他みんないろんなやり方でやってはる。日々、実験しながらみんなやってるから、お互いデータが共有できるんですよ。一回で、4、5人分にあるからすごく助かる。でも、慣行農法とかも全然関係なく、いろんな人に聞くようにしてます。あんまり凝り固まったらよくないと思ってて。絶対その人なりのやり方があって、そのいいとこをどんどん吸収していきたいと思ってて。そこに変な壁は作りたくないなって思っています。ここら辺のおっちゃんたちにもいっぱい聞いてます。いつ植えたらいいですかって聞くと、祭りがあるから祭りの前に植えたらうまくいくねん、とかこの地域特有の時期を教えてくれはるんですよ。自分で調べてこの時期かなと思って植えてみたら、ちょっと早かったとか実際あったりするんで、ここら辺の人に聞く。それが一番早いんですよ。絶対聞いた方がいいと思う。分からんもんは分からないんですもん。なんぼ考えても分からへんし。失敗したらまたその1年後にしかやり直せないから。家庭菜園でやってはる人も何年もやっててすごいよく分かってはるし。農業だろうが家庭菜園だろうがもう関係なく聞きます。
(続く)