NARAFOODSHEDと五ふしの草の共同制作で特別連載。
食べることを深く知り、考え、作り手や届け手、食べ手の思いを聞くことをテーマに、
街のファーマーズマーケットやファームスタンドがガイド的に寄稿、連載するルポルタージュ「マーケットの向こう側」。
マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、奥行きに触れていただけたらと思います。
今回も田原ナチュラルファーム、福井佐和さんで中編です。
/ 聞き手: 三宅翔子 / 写真:中部里保 /編集: 榊原一憲
神様と人を繋ぐ扉
ー 製茶工場の中を隅々まで案内してくださる佐和さん。立派な機械ばかりだからこそ、大変なこともあるとのこと。
佐和 この機械代がまた大変やからね〜、メンテナンスと。
ほんまに何の為にお茶作ってるか、わからへんようになっちゃうんですよ。
機械代を払う為に農業してるんかなって…。
機械は全部特注やから高くて…例えばこれやと400万円ぐらいします。
壊れる時は、急にガクッと動かなくなるからね…。
安全に使えるようにもしとかなあかんし、こまめにメンテナンスするようにしてます。
ー 煎茶や紅茶の加工の流れとともに、色についても教えてもらった。
佐和 煎茶は緑色、紅茶は茶色。
日本人は煎茶の緑色にすごいこだわったみたいで、葉っぱと同じ緑色で飲みたいってなったみたい。
“みどり”っていう言葉は、“み”が「神様」“ど”は「扉」“り”は「人」らしくて。
「神様と人を繋ぐ扉」っていう意味が“みどり”らしくて、そんな神秘的な尊いものを日本人は大切にして、緑色にこだわったんちゃうか?って教えてもらったことがあります。
ー 繊細な部分までこだわるところ。日本人らしさを感じた。その反面、現在は日本人の日本茶離れや、ペットボトルの普及でお茶の価値が下がったり…なかなか厳しい現実もあるそうだ。
佐和 もともとここの工場は、最初は11人で使っててん。
でもみんな不景気で辞めていったりしてね…農協さんのところの集団の工場に入っていったり。
今は、うちともう一軒の農家さんの二軒でまわしてるんやけど、二軒で使うにはかなり大きいねん。
それだけ油もいるし、経費もかかるから大変で。
無農薬でお茶作ってる農家さんで、時々使いに来てくれる人もいたりするけどね。
個人で加工できる工場も、段々減ってきてるのもあるかな。
農協さんのところの工場なんて、絶対個人には貸してくれへんし。
私も段々と工場のある有難さがわかってきたかな。
独身の頃は、工場を使うのも「ラッキー!あいてた!」ぐらいにしか思ってなかったけど、この工場が動いてることはすごいことやな〜っていうことが少しずつわかってきて、今はこの工場を遺していきたい!っていう思いが強いんです。
知り合いの農家さんの息子さんで、本格的に農業をやり始めた子もいるけど、若い子一人でここを使うのは絶対厳しいから、その子自身も悩んでるみたいで。
お茶が景気良くて、作れば作るほど良い!っていうのなら良いんやけど、これだけ大きい工場をまわすのは、今はやればやるほど赤字やからね…。
製茶工場は存続の危機
ー 茶農家さんの減少により、製茶工場は存続の危機。それに加えて、製茶した茶葉を出荷する時にも苦悩があるそうだ。
佐和 個人で売る分だけじゃなくて、農協さん経由で茶商さんが実際に来て、茶葉を見て値段をつけていくこともあるんやけど…その値段がほんまにもう安いから…。
みんなそんなんやとお茶作らへんで…っていうような値段なんですよ。
かぶせ茶やとね、被せで黒い幕をしてさ、それだけでも一苦労やのに、収穫する時にまたその幕を取って、何百万もする大型機械で刈り取って、それで出来たお茶の値段がこれか…って思うと…ねぇ…。
ー かなり手間ひま、コストをかけて大切に作ったものがそんな扱いをされると、悲しいですよね…。
佐和 うん、それがすごい悔しくて…。
それで3年ぐらい前に、ちょっとイベントを企画しよう!と思って。
田原のやま里市場に、お茶農家さん5人ぐらい呼んだり、知り合いのケーキ屋さんとかパン屋さんに自分のお茶を渡して、お茶の商品を開発してもらったりして、村でマルシェをしてるんです。
それが「田原cha茶chaカーニバル」っていうやつで。
ー 可愛い名前ですね!
佐和 そうなんですよ〜!笑
一年に一回やってて、今年(2023年)は11月19日の日曜日にやるんです。
お茶の飲み方講座とか、村の人のハーブと和紅茶を使ってオリジナルのお茶を作ったりとか、お茶のイベントを通して、暮らしの中にお茶をもっと取り入れてもらえるようになったら良いなって。
ー すごく楽しそうなイベント!是非行ってみたいと思った。製茶工場の最後に、時代を感じる茶箱を見せてもらった。かっこいい!
佐和 昔はこういうの木の箱でお茶を保管してて。
中は金属になってて、湿気とかも通さないようになってます。
誰のものかわかるように、あんな風に名前を書いてて。
昔はこのあたりは、お茶をやってない人のほうが少なかったんですよ。
ほとんどの人がやってて、出荷場に持っていく茶農家の軽トラが数珠つなぎにずら〜っと並んで順番待ちしてる時代もあったんです。
ー 今とは全く異なる、お茶が盛んだった時代の話に驚いた。それってどれぐらい前の話ですか?
佐和 80年代とかかな〜もしかしたら90年代もそうやったかもしらんけどね。
ー 佐和さんがここで茶農家を始めた頃は、周りの茶農家さん達はどんな感じの人が多かったんですか?
佐和 私世代の女の人が園主としてやってる人って居なかったと思います。
その頃は、大体50代〜60代ぐらいの御夫婦がメインでやってたかな。
その人達が、今80何歳とかになってはったりとか。
もう高齢やから、その人達ももう辞めるかどうか?ってなってきてたりするね。
年齢的にも大変やから、もうそういうおじいちゃんおばあちゃん達は、かぶせ茶を辞めて、露地栽培にしてたり。
お茶の値段は安くなってしまうけど、それでも土地を守っていきたい!って言ってやってはるね…。
奈良県は、新規就農する子には「苺」を勧めるみたいで。
最初から何千万とか借金して、ハウスとか設備投資をせなあかんけど、今は苺は景気が良いしいけるよ!って言われるらしい。
でも結局体力面とか、上手くいかなかったりで、辞めていってる子はおるみたいで…借金だけ残ってるんやろね…。
ー 世代ごとに、色々な問題があるようだ…。では、いつもとても明るい佐和さんですが、佐和さん自身が今困ってることや悩んでることはありますか?
佐和 やっぱり現代のお茶離れから、茶農家さんが減ってきてることが一番かな…。
茶畑も荒れていくし、それを見るのは辛いかな。
でも、個人の力ではやっぱりどうにもできないから、少しずつでもイベントをやってみたりとか、仲間を募ってアイデアを出し合ったりして、そこからまた違う展開に繋げて、動かしていけたら良いんですけどね。
(後編につづく)