【 マーケットの向こう側 】vol.4 田原ナチュラルファーム 後篇 福井佐和

 

NARAFOODSHEDと五ふしの草の共同制作で特別連載。

 

食べることを深く知り、考え、作り手や届け手、食べ手の思いを聞くことをテーマに、
街のファーマーズマーケットやファームスタンドがガイド的に寄稿、連載するルポルタージュ「マーケットの向こう側」。
マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、奥行きに触れていただけたらと思います。
田原ナチュラルファームの最終会、後編です。

 

/ 聞き手: 三宅翔子 / 写真:中部里保 /編集: 榊原一憲

 


 

もともと“結い”っていうのは農業で「助け合い」という意味

 

ー 個人の力では難しいことも、仲間で力を合わせることで少しずつでも動かしていける。次に案内してもらった「ゆいのいえ」に対する佐和さんの想いにも繋がっていくことになる。製茶工場から車で少し離れたところに、その場所はあった。「ゆいのいえ」の周りには、茶畑や、菊芋畑が広がっていた。

佐和 ここは、13〜14年前には借りてたかなぁ。
もともと大阪の方の土地やったんやけど、縁があって借りて。
お茶と畑を両方出来るスペースが欲しいなと思ってたから。
この小屋が「ゆいのいえ」で、手作りなんです。
もともと“結い”っていうのは農業で「助け合い」という意味って、畑の先生である阿藤先生から教えてもらって、まさしく私って「結い」で農業続けさせてもらってるなって思ったんですよ。
だから、お茶にも「ゆい」っていう名前を付けてたりするし、ここの小屋も「ゆいのいえ」って名付けようと思って。
ここは、最初畑の友達の男の子と、一緒に作ったんです。
古材をもらったり、石は河原で拾ってきたりして。

 

 

 

ー とても可愛い小屋は、まるで絵本に出てきそうな雰囲気。所々にステンドグラスもあしらわれていて、そのなかには「CHA」や「ユイ」の文字も。可愛い。
ステンドグラスも知り合いの奥さんに教えてもらって作ったんですよ。

佐和 小屋の中はこんな感じで。畳は貰いもん。笑
土を練って、竹も割いて、作っていきました。
それで10年ぐらいかけて、漸くここまできたんやけど、なかなか進まへんかって。
そうこうしてたら、昨年高校時代の同級生が子供さん達と一緒に来てくれて、お茶の景気が悪い話をしたら、「ここでイベントやろうや!」って言ってくれて。
その子は、数年前にたまたま再会して、5年ぐらい前からイベントでお茶売らせてほしいって言ってくれてた子で。
それで、この度7月にここで「おうちごはんっていいね」っていうイベントを二日間やったんですよ!
その友達が考えた企画なんやけど、一日目はマルシェで。
手作りのクッキーとか陶芸の瀬戸物とか。
甘酒もあったり、村のお弁当もあって。
二日目は、朝にここで朝ごはんを作って、お客さんに食べてもらうっていうのもやりました。
茶粥作って、具沢山味噌汁作って、天ぷらもここで揚げて、すももをデザートに出して、お茶の飲み比べも…。

 

ー こんな自然いっぱいの場所で、盛り沢山の朝ごはん…想像しただけで幸せな気持ちになる。笑

佐和 やっぱり現代人は疲れてる人が多いから…。
ここでゆったりとした時間を過ごしてもらえたら、そういう場所にここをしていけたら良いなと思ってます。

 

自分を迎えてくれた場所っていうご恩みたいなものがある

 

ー 今後、何かやっていきたいことはありますか?

佐和 もちろん、個人の「田原ナチュラル・ファーム」は一生懸命やるんですけど、それよりもなんか地域とか村のことかな。
やっぱり高齢な人ばっかりやったら、新しいことをやり始めるパワーもないから…。
例えば、私はやま里市場のスタッフもやってるんやけど、そこでマルシェをやったりとか、地域を盛り上げることに、今は自分のパワーも持っていってる感じかな。
ここに住んでて良かったな〜とみんなが思えるような活動を、これからまたやっていきたいです。
「田原ナチュラル・ファーム」の屋号を付けた時も、絶対“田原”は付けようと思ったんよね。
田原をもっと盛り上げたいとか、自分よりも田原を知ってもらいたいっていうのがあって。
やっぱり自分を迎えてくれた場所っていうご恩みたいなものがあるから…だから絶対“田原”は屋号に入れたかった。

 

 

 

ー 佐和さんの、この地域、田原への愛を感じた。

 

佐和 やっぱり、それがまた自分にも返ってくるんですよね。
今の40代50代が、自分も楽しみながら農業なり何かに打ち込んでる姿を下の子たちに見せていかないと…きっと田原という場所自体に、誇りとかそういうものを持たずに大きくなって、結局出て行ってしまうと思うし、それは辛いというか。
だから、今自分が楽しんで一生懸命やってる姿を見せて、そういう姿をまた継いでいけたら、自分の幸せに返ってくると思ってます。

 

ー 最後に、マーケットに来てくださるお客さんに、何か伝えたいことはありますか?

 

佐和 やっぱり暮らしの中で、もう少しお茶を飲んでもらえたら嬉しいかな。
春のお茶とか夏のお茶とか、季節によって全然違うしね。
例えば、ほうじ茶は身体を温めてくれるし。
梅雨の時期に刈り取った青い番茶、青番って呼ばれてる少しごわっとした番茶は、ちょっと渋めやから、汗かいた時にスカッとして身体を冷やしてくれたりね。
その季節の身体に合わせたものを選んで、飲むと良いよね。

 

ー その季節に自然が作り出してくれるものは、その季節の人間の身体にも負担なく染み渡る。もちろん、農家さんの営みがあってこそだけれど、改めてそう気付かせてもらった。いつも明るくパワフルな佐和さん。その明るさの裏には、農業を始められた頃からの色々な長い苦悩も沢山あるのだろう。ただ、そのキラキラと輝く佐和さんの瞳は、まっすぐ未来の世界を見ていた。そして、今回の貴重なお話から、私もほんの少しだけ、その世界を見せていただけたような気がする。佐和さんイチオシのほっとやさしい和紅茶チャイを飲みながら、じんわりとそう思った。

 

 

 

 


(おわり)


【 マーケットの向こう側 】vol.4 田原ナチュラルファーム 中編 福井佐和

 

NARAFOODSHEDと五ふしの草の共同制作で特別連載。

 

食べることを深く知り、考え、作り手や届け手、食べ手の思いを聞くことをテーマに、
街のファーマーズマーケットやファームスタンドがガイド的に寄稿、連載するルポルタージュ「マーケットの向こう側」。
マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、奥行きに触れていただけたらと思います。
今回も田原ナチュラルファーム、福井佐和さんで中編です。

 

/ 聞き手: 三宅翔子 / 写真:中部里保 /編集: 榊原一憲

 


 

神様と人を繋ぐ扉

 

ー 製茶工場の中を隅々まで案内してくださる佐和さん。立派な機械ばかりだからこそ、大変なこともあるとのこと。


佐和
 
この機械代がまた大変やからね〜、メンテナンスと。
ほんまに何の為にお茶作ってるか、わからへんようになっちゃうんですよ。
機械代を払う為に農業してるんかなって…。
機械は全部特注やから高くて…例えばこれやと400万円ぐらいします。
壊れる時は、急にガクッと動かなくなるからね…。
安全に使えるようにもしとかなあかんし、こまめにメンテナンスするようにしてます。

ー 煎茶や紅茶の加工の流れとともに、色についても教えてもらった。


佐和
 
煎茶は緑色、紅茶は茶色。
日本人は煎茶の緑色にすごいこだわったみたいで、葉っぱと同じ緑色で飲みたいってなったみたい。
“みどり”っていう言葉は、“み”が「神様」“ど”は「扉」“り”は「人」らしくて。
「神様と人を繋ぐ扉」っていう意味が“みどり”らしくて、そんな神秘的な尊いものを日本人は大切にして、緑色にこだわったんちゃうか?って教えてもらったことがあります。

 

ー 繊細な部分までこだわるところ。日本人らしさを感じた。その反面、現在は日本人の日本茶離れや、ペットボトルの普及でお茶の価値が下がったり…なかなか厳しい現実もあるそうだ。


佐和
 
もともとここの工場は、最初は11人で使っててん。
でもみんな不景気で辞めていったりしてね…農協さんのところの集団の工場に入っていったり。
今は、うちともう一軒の農家さんの二軒でまわしてるんやけど、二軒で使うにはかなり大きいねん。
それだけ油もいるし、経費もかかるから大変で。
無農薬でお茶作ってる農家さんで、時々使いに来てくれる人もいたりするけどね。
個人で加工できる工場も、段々減ってきてるのもあるかな。
農協さんのところの工場なんて、絶対個人には貸してくれへんし。
私も段々と工場のある有難さがわかってきたかな。
独身の頃は、工場を使うのも「ラッキー!あいてた!」ぐらいにしか思ってなかったけど、この工場が動いてることはすごいことやな〜っていうことが少しずつわかってきて、今はこの工場を遺していきたい!っていう思いが強いんです。
知り合いの農家さんの息子さんで、本格的に農業をやり始めた子もいるけど、若い子一人でここを使うのは絶対厳しいから、その子自身も悩んでるみたいで。
お茶が景気良くて、作れば作るほど良い!っていうのなら良いんやけど、これだけ大きい工場をまわすのは、今はやればやるほど赤字やからね…。

 

 

 

製茶工場は存続の危機

 

ー 茶農家さんの減少により、製茶工場は存続の危機。それに加えて、製茶した茶葉を出荷する時にも苦悩があるそうだ。

 

佐和 個人で売る分だけじゃなくて、農協さん経由で茶商さんが実際に来て、茶葉を見て値段をつけていくこともあるんやけど…その値段がほんまにもう安いから…。
みんなそんなんやとお茶作らへんで…っていうような値段なんですよ。
かぶせ茶やとね、被せで黒い幕をしてさ、それだけでも一苦労やのに、収穫する時にまたその幕を取って、何百万もする大型機械で刈り取って、それで出来たお茶の値段がこれか…って思うと…ねぇ…。

ー かなり手間ひま、コストをかけて大切に作ったものがそんな扱いをされると、悲しいですよね…。


佐和
 
うん、それがすごい悔しくて…。
それで3年ぐらい前に、ちょっとイベントを企画しよう!と思って。
田原のやま里市場に、お茶農家さん5人ぐらい呼んだり、知り合いのケーキ屋さんとかパン屋さんに自分のお茶を渡して、お茶の商品を開発してもらったりして、村でマルシェをしてるんです。
それが「田原cha茶chaカーニバル」っていうやつで。

ー 可愛い名前ですね!


佐和
 
そうなんですよ〜!笑
一年に一回やってて、今年(2023年)は11月19日の日曜日にやるんです。
お茶の飲み方講座とか、村の人のハーブと和紅茶を使ってオリジナルのお茶を作ったりとか、お茶のイベントを通して、暮らしの中にお茶をもっと取り入れてもらえるようになったら良いなって。

ー すごく楽しそうなイベント!是非行ってみたいと思った。製茶工場の最後に、時代を感じる茶箱を見せてもらった。かっこいい!


佐和
 
昔はこういうの木の箱でお茶を保管してて。
中は金属になってて、湿気とかも通さないようになってます。
誰のものかわかるように、あんな風に名前を書いてて。
昔はこのあたりは、お茶をやってない人のほうが少なかったんですよ。
ほとんどの人がやってて、出荷場に持っていく茶農家の軽トラが数珠つなぎにずら〜っと並んで順番待ちしてる時代もあったんです。

 

 

 

 

 

ー 今とは全く異なる、お茶が盛んだった時代の話に驚いた。それってどれぐらい前の話ですか?


佐和
 
80年代とかかな〜もしかしたら90年代もそうやったかもしらんけどね。

ー 佐和さんがここで茶農家を始めた頃は、周りの茶農家さん達はどんな感じの人が多かったんですか?


佐和
 
私世代の女の人が園主としてやってる人って居なかったと思います。
その頃は、大体50代〜60代ぐらいの御夫婦がメインでやってたかな。
その人達が、今80何歳とかになってはったりとか。
もう高齢やから、その人達ももう辞めるかどうか?ってなってきてたりするね。
年齢的にも大変やから、もうそういうおじいちゃんおばあちゃん達は、かぶせ茶を辞めて、露地栽培にしてたり。
お茶の値段は安くなってしまうけど、それでも土地を守っていきたい!って言ってやってはるね…。
奈良県は、新規就農する子には「苺」を勧めるみたいで。
最初から何千万とか借金して、ハウスとか設備投資をせなあかんけど、今は苺は景気が良いしいけるよ!って言われるらしい。
でも結局体力面とか、上手くいかなかったりで、辞めていってる子はおるみたいで…借金だけ残ってるんやろね…。

 

ー 世代ごとに、色々な問題があるようだ…。では、いつもとても明るい佐和さんですが、佐和さん自身が今困ってることや悩んでることはありますか?


佐和
 
やっぱり現代のお茶離れから、茶農家さんが減ってきてることが一番かな…。
茶畑も荒れていくし、それを見るのは辛いかな。
でも、個人の力ではやっぱりどうにもできないから、少しずつでもイベントをやってみたりとか、仲間を募ってアイデアを出し合ったりして、そこからまた違う展開に繋げて、動かしていけたら良いんですけどね。

 

 

 

 

 


(後編につづく)


【 マーケットの向こう側 】vol.4 田原ナチュラルファーム 前編 福井佐和

 

NARAFOODSHEDと五ふしの草の共同制作で特別連載。

 

食べることを深く知り、考え、作り手や届け手、食べ手の思いを聞くことをテーマに、
街のファーマーズマーケットやファームスタンドがガイド的に寄稿、連載するルポルタージュ「マーケットの向こう側」。
マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、奥行きに触れていただけたらと思います。
今回は奈良市田原地区の柱。田原ナチュラルファーム、福井佐和さんです。

 

/ 聞き手: 三宅翔子 / 写真:中部里保 /編集: 榊原一憲

 


 

人もお茶も野菜も虫も、みんな「結“ゆい”」でつながる。

春日山の東側、緑広がる田原の里に自然農法を実践している大和茶畑、「田原ナチュラル・ファーム」がある。

奈良市中心部から車でわずか20分ほど…こんなにのどかで自然の溢れた場所があるとは知らなかった。

一面緑の綺麗な茶畑、清々しい夏の青空、つい呼吸も深まり、見惚れてしまっていた。

そんな中、太陽のような明るい笑顔が素敵な、代表の福井佐和さんが迎えてくれ、早速茶畑に案内してくださった。

茶畑までの道中、竹林を抜けていく。

しっとりと潤いも感じる澄んだ道、まさにジブリの世界のようだった。

 

きっかけは野良旅

 

ー 農業を始めたきっかけはあるんですか?


佐和
 
若い頃は、もともと百貨店で働いてたんです。
特に不自由のない生活をしていたんやけどね…その頃偶然本屋さんで「あなたが選ぶ生き方」という本を見つけて、ピンときてすぐ買って帰りました。
そこに鹿児島のえらぶ島(沖永良部島)の百合の刈り取りのお手伝い募集の記事があって、すぐに行きたい!と思って。
親は最初びっくりしてたけど、たまたま同じ奈良から同年代の女の子が行くことになっていて、親もそれならいいよと送り出してくれて。
そこで5日間ぐらいファームステイしたんやけど、すごい楽しかってね。笑
それをきっかけに、全国色々な場所へ農業体験に行ったかなぁ。ジャガイモ掘りにも行ったりね。野良旅やね!笑

奈良の歌姫農園にも通ってて。
最初はオーガニックレストランでバイトしながらの家庭菜園からの始まりやったけど、2002年から農業を始めて、2004年から茶農家になったかな。
意外とバイトをしていた頃のほうが、体力面も含めて大変やって。
時間を農業に100%使われへんかったからね。

 

ー 何故いろんな農作物がある中で、お茶に辿り着いたのですか?

 

一年に一回新茶の刈り取りの時期に、手伝ってと言われたのがきっかけかな。
もともと野菜を育ててたんですけど、お茶もいいなぁと思って。

 

 

 

ー そうなんですね。では、何故田原で始められたんですか?

 

佐和 この田原の土地を選んだのは、歌姫農園の阿藤先生に勧めてもらったのがきっかけです。
当時は新大宮に住んでたから、田原やと近いし、お茶やりたいんやったら、君は奈良の子やから大和茶の産地が良いんちゃう?って言ってくれて。
月ヶ瀬とかやとちょっと遠いし、田原ちょうど良いんちゃう?って。
それで阿藤先生と二人で田原に見に来た時に、偶然ファブリルっていうギャラリーを見つけて、オーナーのいずみさんに出会って、事情を説明したら土地を紹介してくれはって。
そこから色々繋がっていったって感じかな。

 

ー 上から見下ろす茶畑もまた迫力があった。佐和さんは、ご主人の福井豊さんとともにお茶の栽培に取り組んでいる。

 

佐和 ここから半分が私の畑で、ここから半分が主人の畑です。
もともとお互いこの地域のお茶農家をしていて、畑も隣同士で、それで出逢って結婚したんやけどね。
当時は主人は慣行栽培をしていて、私は自然農法で。
主人は、一部分を農薬や化学肥料を使わない栽培方法に変えてくれました。
品種はやぶきたやね。

 

 

ー ご主人の畑と比べて、佐和さんの畑はとてもワイルドだ。


佐和 
これも手を入れなあかんのやけど、そこまで手がまわってなくて、今はこんな感じで。笑
一般的に、お茶は一年で四回刈り取りをします。新茶、番茶、二番茶、秋番茶と。
でも、私は刈り取りは二回だけで。
あとは、見ての通り、田原の茶畑は急勾配が多くて。
静岡とかやと平坦やねんけどね。
刈り取る時にここを乗用の刈り取り機で降りていくんやけど、結構危険で…怪我したり、亡くなる方もいるみたいで。
この前も知り合いの農家さんが、何かに引っ掛かって、ごろんごろんってなったみたい。

 

ー ここを刈り取り機で下りるんですか!?と驚くような急勾配だった。危険も伴う茶農家さんの仕事。ワイルドな茶の木の葉に、朝露が綺麗に輝いていた。茶畑の後、製茶工場に案内してもらった。外観から味のある建物。足を踏み入れると、想像以上の広さに驚いた。歴史を感じる機械がずらりと並ぶ。おぉ〜!と思わず声が出た。ここは絶対残したいねん〜と佐和さん

 

佐和 畑で刈り取った葉っぱを乗せた車をそのまま横付けして、製茶工場に入れれるようになってます。
煎茶を作る時は、葉っぱを刈った瞬間に発酵がじわっと始まって熱くなってくるんで、早く工場に持ってきて加工していきます。
大体5〜6時間で、生葉から荒茶の形にできるかな。
この工場では、荒茶の段階までやってて、百貨店で売ってるような、針のような形のお茶にまで加工する場合は、また別の工場に持って行って大きさを選別したりしています。
でも、私は自分で売る時は、そこまでしなくて、荒茶の状態で売ってて。
大きいのや小さいのとか、色んな部分が混ざってるほうが美味しいよ〜と言ってくれはる人も割と多いしね。

 

 

 

 


(中編につづく)

 


土を感じるミニマーケット 秋編

パタゴニア大阪との協働プロジェクト。

「土を感じるミニマーケット」
"秋編"の告知です!
改めて、参加者情報は発信、お知らせさせて頂きます!
昼は、中之島のサーフ大阪ストアーでミニマーケット。
夜は、心斎橋のパタゴニア大阪ストアでクロストークです。

ぜひぜひ参加してみてください。

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<土を感じるミニマーケット -farmers market- >

環境再生型農業、有機農業や不耕起栽培、無肥料栽培の農家さんや、
食べものの生産・加工・流通に精通する人が「小さく集まり、土や大地の恵みを感じとるミニマーケット」です。
環境負荷を最小限に抑えた農作物や、加工品、プロダクトが集まります。

◯ワークショップ&トーク

  当日は以下のワークショップを開催予定です。

「種採りワークショップ」

「ベンガラ染めワークショップ」

  出店者さんの声を直に聞き、地域の農の現状をシェア、勉強する
「土を感じるミニトーク」も予定しています。


■日時:2023年11月4日(土)


10:30~14:30

■参加費:無料

■場所:パタゴニアサーフ大阪前 中之島バンクス

■お問合せ、参加者情報は、五ふしの草のSNS @itsufushi にて

農業の話をしよう 秋編

やっと秋めいて涼しくなってきました。

夏のパタゴニアさんとのプロジェクト。
「農業の話しをしよう」
「土を感じるミニマーケット」
の企画に続いて今回は"秋編"の告知です!
改めて発信してきますがひとまずクロストーク、対話の方をリリースさせて頂きます!
お申し込みは、
パタゴニア大阪ストア @patagonia_osaka まで。

ぜひ参加してみてください。

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<農業の話をしよう 秋 -健全な土壌を育む農業を目指して- トーク&セッションイベント>

オーガニックや自然栽培など、いろんな農業の話をしませんか?
生産者を招き、暮らしの基本「食べること」を通して、
地域の風土、生産、流通、消費の問題や課題に対し、
どんなアプローチができるかを考え、学ぶ場です。

ゲスト:

榊原一憲(奈良市・五ふしの草) @itsufushi
中野展宏(曽爾村・畑のあかり)@hatakenoakari
岡祥満(葛城市・めぐるふぁーむ) @meguru.farm

■日時:2023年11月4日(土)

19:30開場/19:40開始/21:10終了

■参加費:無料(要予約)

■場所:パタゴニア大阪

大阪府大阪市中央区南船場3-4-22東道ビル

■ご予約・お問合せ:

パタゴニア大阪 TEL 06-6258-0366

■定員:35名 

*申込先着順で定員になり次第、締め切らせていただきます

#patagonia
#パタゴニア
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【 マーケットの向こう側 】vol.3 oyatsu somaya 後編 岡本太材、梨衣

NARAFOODSHEDと五ふしの草の共同制作で特別連載。

 

食べることを深く知り、考え、作り手や届け手、食べ手の思いを聞くことをテーマに、街のファーマーズマーケットやファームスタンドがガイド的に寄稿、連載するルポルタージュ「マーケットの向こう側」。マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、奥行きに触れていただけたらと思います。
前回に引き続き、oyatsu somayaさん。後編です。

 

/ 聞き手: 船尾佳代 / 写真:中部里保 /編集: 榊原一憲

 


 

 

優しい想いのバトンを継ないでいきたいなと思っています。

―  太材さんは謙虚に、目の前のことに対してニュートラルに対峙されている。そしてご自身ができることとできないことを見極めている。農業はめぐる季節の中でできることのタイミング、チャンスが重要だ。一度失敗すると一年待たなければならない。情報や経験をお互いに共有できる農家さんコミュニティというのが大切なのだ。一人勝ちしようとする世界に太材さんたちはいない。さらに大切なことについて太材さんは話してくれた。

 

太材 種はやっぱり大事ですね。種は在来種とか固定種を買います。ほかは近所のおっちゃんからもらったり。名前は知らんけどずっと作ってておいしいねんって言って、種をくれました。もう何十年も作ってはる豆です。これは自家採取したスイカ、ルッコラ、オクラ3種類、紫とうがらし、ほおずき、ボリジ。ボリジって青い花が咲くハーブで食べられるんです。ハチとか虫を呼んでくれるんで、受粉を助けてくれる。だから畑の周りに何ヶ所か植えたりしています。かぼちゃとかほぼ人工授粉してないんですよ。勝手にハチがやってくれてます。ところどころに、虫がいてるんで一緒に受粉してもらうような感じ。最初は全部、自家採取しようとしてたんですけど、葉物はあんまり種取ってなくて。種苗会社さんのことを考えたら買わせてもらえるのはちゃんと買わせてもらった方がいいなと思って。固定種や在来種のような種は自家採種出来る。購入者が自家採種したら、もう次の年から種が売れにくくなるかもしれない。だから自家採種の難易度の高い野菜、例えば混ざりやすいものとか形質がどんどん変わってしまうアブラナ科とかは購入させてもらっています。僕らの購入量なんて微々たるものですが、少しでも大切な種苗会社さんを支えられたら良いなと。自家採取もしたいので、混ざりにくくて種が取りやすいトマト、ナス、かぼちゃ、豆とかは自分で採ります。

 

―  ビンや小袋に入ったたくさんの種を見せてくれた。一つの野菜でも何種類も種がある。

 

太材 今は30種類くらいの野菜を作っています。最初は、50近かったんです。めっちゃ面積狭いくせにいろいろ欲張ってやってしまって、どれも中途半端で。肥料なしやから、多分慣行農家の人の下手したら100分の1の収穫量くらいかもしれなくて。ちゃんと収穫量を増やさないとあかんなと思って種類を絞ることにしました。ナスは3種類してたんですけど今年は1種類にして、来年また別の1種類にして種も繋いでいきます。小豆も、ここらへんの在来種の宇陀大納言ってあるんですけど昔からいろいろ探し回って、全然手に入らなくて。宇陀大納言は作ってない、残ってないと言われて。宇陀の小豆農家さんにもコンタクト取ってみたんですけど、農家さん同士、交換していろんな小豆が交配してしまってて、もう多分遺伝子的に変わってるからって言われました。もうあかんのかなと思ってたら、種を大事に採り継いでいらしゃる方が宇陀大納言を持っていらっしゃって。2さやだけちょっと分けてもらえたんです。これ絶対に守らんなあかん、死守せなあかんと思って。鹿に食われましたなんてことになったらあかんし、3メートルの柵を建てたのはこの小豆守るためもあるんです。自分でずっと取ってる小豆もあるんですけど、宇陀大納言をこっちで復活できたらいいなと思って。遺伝子検査もして、ちゃんと正真正銘、宇陀大納言の遺伝子と合致したやつらしいです。絶対に失敗できないですよね。僕もこの種取ってるけど、自分で失敗したらもう途切れてしまうっていう恐怖がいつもあるんですよ。だから若手農家とかじゃなくても、協力してくれるおっちゃんとかいてるんで、みんなでリスク分散しながら育てていけたらな。と思ってます。苗とか種を渡してるんで、もし僕が失敗したらまた分けてくださいって言えるように、広げてやってもらってます。やっぱり獣害がすごい。向こうも生きるために必死やから、容赦なく食べられる。ほんまに綺麗になくなっちゃうんです。岡くん(めぐるふぁーむ)とかともそういう話ししてて、お互いの育ててる固定種とか、在来種を交換とかできたらいいなという話もしてるんで。最近は種の自給率を上げるために種を取る、消えゆく在来種や固定種を守らないといけないとか言われていますよね。もちろんそれもそうなんですが、そんな小難しい事はあまり考えてなくて。種を交換するってめっちゃロマンやと思ってて。実際に今残っている野菜の種達は、調べたり話しを聞いていると、単純に「美味しいから」、「自分の子どもや孫が好きだから」とか、嫁入りのときに種を持たせたとか、そんな人々の優しい想いや気持ちで継ながれ続けてきたものが多いって感じています。種はその土地の文化そのものやと思っています。育てているとき、これはどんな想いで継ながれてきたのかな?と考えるだけで楽しいし、ワクワクしますね。ロマンがあるな〜って。近所のおっちゃんにもらった名前のないあの豆の種も、多分もう何十年もここにしっかり馴染んでるし、そういうのもちゃんと残していけたら最高です。そんな先人達の優しい想いのバトンを継ないでいきたいなと思っています。

 

 

 

 

ー 貴重な種が手に入っても一人で抱きかかえない。貴重だから独り占めして付加価値をつけて…などと俗っぽいことにはならず、貴重だからこそ一人ではなく信頼のおける人たちと育て種を採り継いでいこうとされていた。奈良FOODSHEDファーマーズマーケットでも以前、種の交換会をしていたことをお伝えした。農家さん主体で種の交換会が復活してくれるのではと期待している。ここで梨衣さんにも今に至るお話をお聞きする。

 

 

 

 

梨衣 宮崎について行ったときは、私はお料理の勉強をしようと思っていました。宮崎でレストランとかカフェとかでいろいろ働いて、ホテルのレストランで運よく働けることになって。前菜を作らせてもらっていたんですけど、デザートやりたいって言ってたから、パティシエの方がデザート作るときには見においでって言ってくださったり、やりたいことあったらやってみていいよって言ってくださるところでした。珍しいものも食べさせてくれたり。前の職場では忙しく、時間もなかったので、休憩中は菓子パン等を食べていて、食事に気をつかう余裕も心のゆとりもなかったんです。宮崎に引っ越して、農に触れたり、調理の仕事をすることで、食について考えるきっかけになりました。身体によいものを取り入れたいと思うようになり、添加物なども摂らないように。前は「美味しい」の範囲が広くなってしまってたから、ホテルのレストランでたくさん味見とかさせてもらって、「お金をいただける味」っていうのを自分の舌で知ることができました。そんな下地があって今作っているお菓子は独学で試行錯誤しながら作っています。今は日本の古来からの発酵という技術の良さも取り込めたらと思って、米麹の甘酒を使ったスコーンなどを作っています。私はおやつという響きが好きで。ちょっとほっとするというか。子どもの頃、母親がよくおやつを作ってくれていたんですが、子どもの頃「おやつにしよー」って呼ばれた時、とても嬉しくて、幸せな気持ちになりました。色んな人と一緒に食べることで、コミュニケーションも生まれる。おやつという言葉にはすごく幸せが詰まっているというか、魅力があるなと思いました。だから屋号にもおやつという言葉を入れたかったんです。おこがましいですが、私達の作るおやつも食べてくれた人にとって、ホッとするひとときとか、少しでも笑顔や前向きに何かを考えてもらうきっかけとか、そういった瞬間に私達のおやつがご一緒出来ていたら嬉しいです。ご近所さんも「何かあったらお菓子はここ」みたいに買ってくださったり、手土産に使ってくださったり、ありがたいです。最近では自分の子どもさんが結婚の挨拶に行くときのお菓子に選んでくださったり、そういう大事なときのお菓子に選んでくださったり繋がりがどんどん出てきて嬉しいです。

 

 

 

―「太材さんが農業」で「梨衣さんがお菓子」という分業ではないそうだ。

 

太材 お互い手伝いながらですね。僕はあんまりこねるとか得意じゃないんで、粉を計量したり洗い物したりとか、下準備やってバトンタッチしてっていう感じで一緒にずっとやってきてます。畑も一緒にやってますし、桑の実を収穫するときは僕が妻を担いで肩車で採ったり。

 

―  危ないから脚立を買ってね、とみんなで笑いながら、お二人が今までずっと二人三脚でやってこられたことを想像する。以前からoyatsu somayaさんのお菓子を食べておいしかったよ!と感想を伝えると、梨衣さんより太材さんが先に「よかったー」と言って安堵の表情を浮かべるのが印象的に残っていた。お二人で作ったお野菜入りの、お二人で作ったお菓子たちだったからだと納得できた。そのoyatsu somayaのソマヤとは今お住まいの場所の旧地名が「そまや」ということに由来しているそうだ。「そまや」とは杣人(きこり)が住む場所を意味する。どうして曽爾村に移り住んで来られたのか。

 

太材 もともとおじいさんの代まで暮らしていた場所なんです。父が中学のときに奈良市に引っ越して。だから、最初、「誰々さんのひ孫か?」みたいな感じで近所の方は話しかけてくれました。さかのぼったらこのあたりみんな親戚なんちゃうかな。僕らがやってる畑も、元々この先祖が耕した畑だったんで、そこまた戻ってきて使わしてもらってるっていう感慨深いものがあります。なじみのある縁のある場所ですけど、最初はいろいろ言われました。草生やしてたらみっともないとか、お前のところから虫わいてくるとか、農薬も肥料もなしでできるわけないとか。若い子がやることはわからんわって。わかってもらうためにも絶対こっちから挨拶するようにしました。どれだけ離れてても、こっちから挨拶して、どんどん話しかけて、世間話とかもするようになって。みなさんのやり方とは違いますが、自分で納得するまでやってみたいんですって言って。そうこうしてる間に、やり方を理解してくれて、興味をもってくれるようになって。マメ科の雑草って肥料代わりになるんですけど、それ伝えたら、そしたら抜かんと置いとくわって言ってくれるようになったり、苗とか種をわけてくれって言われたり、今は応援してもらう感じになっています。やっぱり積極的に村の人らと関わっていくことをしないといけないと思います。うわさって良いものでも悪いものでも広まるのは早いんです。あっという間に広がるので、誰とも関わらずやってたらずっと誤解が解けない。そうなったら多分すごい住みづらくなってしまいますね。どんどん関わっていくようにしているから、この畑使わへんか、とか、ここやったら何してても文句言われへんで、とか言ってくれるようになって。ほんまうれしい。ほんと応援してもらっています。そこに住んでいるっていうことだけじゃなくて、早く何をしてるかっていうのを伝えて、安心感を持ってもらえるようにしました。警戒してはるから、ちゃんと応援してもらえるように。村で事業をするなら基盤を作っておかないとあかんなと思って、それは最初気をつけていました。なかなか、こっちから行くのもドキドキするんですよね、出来上がっている人らのコミュニティに入るって結構勇気いるんすけど、1回しっかり入ったら、向こうも心を開いてくれはるから。中途半端じゃなくてしっかり入らないとあかんなと思っています。それと、消防団とか村の一員としての役割を果たすのも大事。僕、今、組頭なんですよ。役員もやってます。妻も保健推進委員やってて。そういうふうに僕らのことを頼ってくれはるようにもなってきてるから、うれしいですね。田舎って人間関係めちゃめちゃ大事です。人は少ないけど密やからやね。

 

僕らがやってるお菓子や農業は目的じゃなくて、奈良や曽爾を盛り上げる手段

 

太材 今はもっとガンガンいってますよ。山菜の旬とか使い方とかわからないとき、近所のおっちゃんおばちゃんちに、ピンポンピンポーンって押して、これわかります?って押しかけます。おっちゃんおばちゃんたち知識量すごいし、調べるより聞いた方がいいでしょ。もっと美味しい食べ方とかどういう下処理するのかとか。めっちゃ教えてくれます。こんなふうに村の人たちにすごい助けられてると思う。本来の農村の生き方のような感じしますけどね。何かあったらみんなで助け合うみたいな。それを経験させてもらっています。
あと、初めて作る野菜は、試しに食べてもらったりしています。けっこう珍しい野菜作ったりもしてるんですけど、近所のおばちゃんたちに配って、それぞれいろんな調理法で料理しはったのを聞いて。1回で、いろんな調理法の情報収集させてもらっています。僕らだけではいろいろ試せないですし。そしたら売るときにこういう使い方できますよってお客様に提案できて助かっています。おばちゃんたちは野菜の味にも正直に感想言ってくれはるし。そういう間柄になってます。
僕はおっちゃんおばちゃんたちと話すのが好きだから、こんな風にできていますけど、みんながみんなそうじゃなくて。地元の人と移住者ってコミュニティが分かれてしまうことが多いんです。お互い仲良くしたいと思っているのにお互い一歩が踏み出せない。だから村の行事に若い移住者を誘ったり、若者のイベントに近所のおっちゃんおばちゃんたちを誘ったりして、仲を取り持つというか、お互いが絡んでいけるようにしています。

 

 

 

― 「わからなかったらピンポン」にはかなり驚いた。お二人はご近所さんたち全員の孫みたいな存在。さらに田舎あるあるのご近所さんとの野菜の交換という習慣をうまく活用していた。師匠のような、料理法の引き出しが豊富な農家さんへの一歩だ。太材さんはあっけらかんと垣根が低い。梨衣さんはいつもニコニコしている。近所の方々に応援してもらっているのが想像できるし、地元の方と移住者を繋ぐ役割も自然とやってのけているのだろう。最後に今後の目標についてお聞きした。

 

太材 人が集まる場所を作りたいです。カフェじゃなくてもいいので、例えば種取りのワークショップちゃんとできるん空間であったり。僕らがもうちょっと求心力を持てたら、曽爾村の人らの野菜を扱いたい。僕らがやってるお菓子や農業は目的じゃなくて、奈良や曽爾を盛り上げる手段なので。せっかくやからこだわって作ってる人たちの野菜や物をちゃんと買って、僕らがPRするっていう方がいいと思って。だから曽爾の特産物で専門の農家さんがいてる、ほうれん草とトマトは自分で作らないことにしました。ほうれん草は種の実の山下さんのを使わせてもらってスコーン作ったりしてるので。こだわって作ってはるほうれん草を紹介したいですし。トマトは畑のあかりの中野くんのものでキッシュとかに使わせてもらいます。お菓子に使ってとか結構量もいるので、それはもうちゃんと買わせてもらう。規格外のものもお菓子に加工するなら問題なく使えるから、そうやってお金の流れも作って、僕らのお菓子の通販を通して全国の人に食べてもらえる。種の実のほうれん草、畑のあかりのトマトを知ってもらえる機会になればいいなと。そういうウィンウィンの関係を広げられたらいいなと思います。

 

―  太材さんは「僕」ではなく「僕ら」とおっしゃることが多かった。一緒に農業とお菓子作りをしている梨衣さんとの二人を指すこともあり、曽爾村の若手農家仲間を指すこともあり、もしかしたら受粉を一緒にしてくれるハチたちも「僕ら」に含まれていたかもしれない。個としての意志や考えは明確で固く、でも同時に個としての存在は重要視していないように思えた。謙虚にみんなで一緒にいい結果を出そうと工夫されている。また、oyatsu somayaさんの屋号からは農家さんということが分からないし、「農家」というアピールがほぼないし、野菜ではなく「オヤツ」だし旧地名の「ソマヤ」だし、私にはいろいろと謎だった。お話を聞いて、二人で作った最終形態のものがおいしいおやつだから「オヤツ」で、個よりもみんな、コミュニティの一員としての意識が高く、ご先祖の場所を大切にしているから「ソマヤ」なのだと。お二人の大切にしていることが込められているのかなと想像する。今回は端境期のタイミング取材にお邪魔させていただいたので、たくさんの野菜が実っている時期にもまた畑を見せていただきたいと思う。たくさんの種類のお野菜たちが草や虫たちとともに育っているのを見られるのが楽しみ。お二人の作った玉ねぎ入りのあまじょっぱいクラッカーがおすすめです。

 

 


 

vol.3 終わり


【 マーケットの向こう側 】vol.3 oyatsu somaya 前編 岡本太材、梨衣

NARAFOODSHEDと五ふしの草の共同制作で特別連載。

 

食べることを深く知り、考え、作り手や届け手、食べ手の思いを聞くことをテーマに、街のファーマーズマーケットやファームスタンドがガイド的に寄稿、連載するルポルタージュ「マーケットの向こう側」。マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、奥行きに触れていただけたらと思います。今回はoyatsu somayaさんです。

 

/ 聞き手: 船尾佳代 / 写真:中部里保 /編集: 榊原一憲


 

 

3メートルの柵で守られている20センチのブルーベリー。

鹿対策で3メートルの柵で囲まれた畑に案内していただいた。やはり山あいは鹿などの動物との折り合いが難しい。

草をかき分けて一本の小枝のような20センチほどの木を見せてくださった。


太材
 ここにきて3年、苦楽を共にしたブルーベリーなんですよ。ずっと一緒。でも一晩で鹿にかじられまくってしまって。やっとちょっと新芽出てきてくれて、ほんま嬉しい。かわいいんですよ、こいつがまた。鹿にかじられないようちょっと草生やして隠してるんです。

ちょこっとかわいい黄緑の芽が出ている。一見すると草が生えているだけ?と思ってしまう畑の中に、よく見るとたくさんいろいろな木や野菜が隠れていて、夜な夜な鹿たちの宴が行われるのもうなずけるほどに畑は豊かだった。ブルーベリー、いちじく、すもも、ひよこ豆が植えられ、桑、イタドリ、フキ、山椒、三つ葉、よもぎなどが自生し、少し離れたところには茶の木や栗の木も元気に育っている。さらにハウスの中には、温床(落ち葉や米ぬかを重ねて発酵させるところ)の熱を利用して育てられたたくさんの苗たちが並ぶ。

―  たくさんの種類のお野菜と、ケーキやお菓子を作っていらっしゃる oyatsu somayaのお二人、岡本太材(たかき)さん、梨衣(りえ)さんご夫妻の畑にお邪魔させていただいた。oyatsu somaya を始める経緯を伺う。

 

直接的に命を奪っている感覚を持ちづらいと思った

 

太材 前職は雑貨のセレクトショップの社員で。そこで妻も一緒に働いていました。そこで4年ぐらい働いてて、ちょっと体壊したタイミングあって。それが岐路でしたね。元々奈良県も何か盛り上げられへんかなと思っていました。何か…うまいもんなし県とか、鹿しかおらん県とか、大仏か鹿みたいなことばっかり言われるじゃないですか。何かもっと奈良を盛り上げられることできないかなと、ずっと漠然と、高校生くらいから思ってたんです。奈良県のために何かやりたいなとか、魅力発信できるようなことをしたいなと思ってて。体壊して、復職するかどうか悩んだんですけど、いやもうちょっとやりたいことやろうと思って。奈良でカフェをしようと思ってました。うちのおじいさんとか昔、畑やってて、その採れたての野菜の美味しさは、やっぱりスーパーとかとは全然違うし。人間ってやっぱり、食は絶対にいるものやから。活力だから。そして食と農は切り離せへんとこで。最初カフェだけと思ったけど、いやもう食材から作ろうと思って、うちのおじいさんみたいな美味しい野菜作りたいなと思って。

太材 縁あって宮崎市の有機農業の農業法人で働けることになりました。妻がついていくと言ってくれたのでそのタイミングで結婚しようってことになって。宮崎では僕は農業、妻は飲食、それぞれ勉強しました。宮崎は農業が盛んで、食料自給率が200パーセントだとか。農薬に頼らない栽培方法を勉強出来ると思って行きました。でも、病気が蔓延したりすると、いたしかたなく農薬をかけることもあって。最初はJAS規格でもいけるような農薬。それでは病気や虫の食害を抑え切れなくて、次第にもっと強力な農薬を使用しないといけなくなる。その中で、「薬はかけたくないけど、これをかければ何とかお金には換えられる」という会話になりました。そこで「農薬は最後に頼れる物で、農家の精神的な安定の役割もある」と感じました。実際、農薬を散布すると虫がのたうち回って溶けて死んでいくのを目撃して。それは初めての体験で衝撃でした。農薬は効率よく虫も殺せるけど、直接的に命を奪っている感覚を持ちづらいと思った。命を奪うことを否定している訳ではありません。「殺す殺される」で成り立っているのが自然界なので。こちらも生きていくためには、他の命を奪って生きていますから。でも何年か体験してみても、どうしても慣れていくことはなかったんです。

だから農薬を使わないでやるにはどうしたらいか考えて、追求したいと思っていました。自分でしっかり勉強せなあかんわって思って。だからその農業法人で働いているときも、こそっと自分できゅうりを隠して種とってみようとか、F1の種をとったらどうなるのかとかいろいろやってみました。やれるだけ実験しようと思って。せっかく宮崎まで来たんだし自分でどんどんやっていかないとって思っていろいろやっていましたね。

太材 あと、働きながらずっと違和感があって。堆肥とか屋根なしの所で管理してたのもありますが、完熟ではない状態で畑に入れたり、土壌分析かけて、かなり窒素過多となっていても、堆肥を減らすことで作物ができないのが怖いからまた何トンも施肥したり。これは土壌や河川の汚れにつながらないのか、とか、、農業資材のごみとか、冬場のビニールハウスの暖房費も気になるところでした。農業資材を使うのは商業的な農業には必要だし、仕方ないけれど、自分で作ったものを自分や極々身近な圏内の人々に食べてもらうという本来の循環の中で、栽培に多額のお金がかかるのに違和感があって。そもそも食、農業って生きていく上で絶対必要なことじゃないですか。生きていく上での根源としての農にたくさんのお金がかかるっていうのはそもそも生きていけないってことじゃないのかなって思って。それがすごい違和感で、お金から切り離したやり方できひんのかなって考えていました。種も値段がめっちゃ上がってるけど、お金なかったら種買われへんっていうのはおかしな話やなと思って。

 

―  初めて関わった農で、思い描いていたこととのギャップに悶々としながらも、こっそり実験や観察をして、経験を自身の理想につなげようとされていた。この農業法人で働いていた期間も自分にとってとても大きいものになったとおっしゃっていた。嘆かずあきらめずなんかやってやろうと、置かれた環境の中でできるベストを探す。ではどのようにして今の農法の基礎を身につけられたのだろう。

太材 すごい師匠がいるんです。僕が行ってた農業法人を卒業した人が自然と調和のとれたやり方で独学で農業してはるって聞いて、そこ紹介してもらって畑行かせてもらったときに、ほんまにもう、草の中に野菜あって。畝の草たちはお互い邪魔することなく生えているのに野菜には同じように適用できないのかって、共存共栄関係でできないのかなってずっと疑問に思っていたんですけど、その疑問が晴れたような気持になりました。散々、自然農とか自然栽培はできひんって言われたんですけど、こぼれ種とかで出てきてる人参とかもあって。農業法人ではあんなにおばあちゃん、おじいちゃん勢ぞろいで草とってたのに、草の中関係なく、こんなに人参生えるのってできるどういうこと?ってびっくりしたと同時に、やっぱできるやん!って嬉しくなって。草のなかでうまいことでバランスとってやってはった。めっちゃ教えてもらいたいと思って、教えてくださいって言って、1年間そこに行かせてもらって。そこは一緒に作業させてもらうってことで、お金はないんで生活費を稼ぐために野菜居酒屋でバイトしてました。宮崎は3年のうちの2年は農業法人で1年はこの師匠のところです。

太材 すごい職人っていう感じで仙人みたいな人で。種も繋げて自然のやり方でやってはった。実際、野菜も美味しかったから、飲食店とかから卸してしてくださいって言ってくるんですけど、ここには卸したくないとか言うんですよ。色とか形しか見ないのは料理人失格やって思ってはって。師匠自身、何十年も料理してはるんすけども、お酒にも精通してて、提案もできるから、飲食店の人たちが「うちに卸してください」って頼ってましたね。信頼されてた。農家って、野菜を自分の子どもと思ってるから、美味しく、食べてくれるところに行ってほしいなと思う。やっぱり勉強熱心じゃなかったり、全部どうしたらいいかって頼り切ってる飲食店は断っていましたね。売るのを断る農家もいるんです。僕は「野菜売るんやったらこういう使い方とかできますよって提案したらいいですよね」とか言ってたら、「いやそれはもう消費者甘やかしすぎだ」と怒られて。「野菜の使い方は自分で確認できる人に売った方がいい。」って厳しいことも言ってました。その人からブルーベリーとかもらったんですよ。僕が帰るときにブルーベリーを挿し木して持たせてくれたんです。

 

―  冒頭の、小枝になってしまったあの20センチのブルーベリーは師匠から分けてもらったものだった。


太材 あんなことになってるなんて師匠にはよう言わんけど。よう言わんけどなんとか芽はでてきてくれから、ほんまよかったーって思ってて。そういう思いの詰まったブルーベリーなんですよ。だからそれを繋いで、ここでできたやつを送ろうと思ってて、ほんとは今年送れるはずやったんですけど、あの状態に…

太材 師匠の話に戻りますけど、職人肌だけどすごい優しい人でね、ほんとめっちゃいい出会いでしたね。師匠の畑はほんまに感動しました。師匠の畑はずっと居れるんです。居心地がよくて。草や虫を敵としない自然な考え方だけど、その瞬間に何かあらゆるものから解放されたような気持ちになりました。色んな草が生えてて、色んな虫がいて、それが当然やなと。「草見つけたらひけ」やったから。ちゃんと虫がいる生活圏もちゃんと残さないと。自分も経験してるけど、やっぱり全部取ったら絶対やられるんですよ。野菜しか食べるもんなかったら、虫は野菜食べますよね。奪ったら奪われるからちゃんとそこは考えて、やらなあかん。半分ずつ刈って、次こっち刈って、すみ分けて。全体の調和を考える、その場やその畝だけを見るんじゃなくて、自分が身を置く自然全体を俯瞰して見るという考え方が大事というのを学ばせてもらいました。

 

 

 

生命の生き死にを見てその場に立ち合えることが魅力だなと思います。

 

―  ご自身の農業の礎になった宮崎の師匠のもとでの経験はどう生かされているのだろう。


太材 僕らは耕さない、農薬は使わない。自然農がベースですが、色々な生命がいて、そのバランスを極力壊さない農法です。僕の畑の師匠は共生栽培と名乗ってたので、共生栽培にしようかなと思います。

肥料も使いません。様子見ながら米ぬかとぼかしをちょっと置いたりとかはしています。ぼかしは自分で作ってて、村の米ぬかと油かすを使って、発酵させて仕込んでおくんですけど、それは即効性があるんですよ。米ぬかは効くまでに時間がかかるので、育てる作物で使い分けています。育つスピード落ちたと思ったら結構草をしっかり生やして、それをまた刈って敷きます。「あそこは、半期休まそうか」とか考えて、土力回復させてからまたやるとか。畑の様子見ながらですね。経験から思いつくこともあって、オクラの採り終わった茎ってめっちゃ硬いじゃないですか。なかなか土に還らないんですけど、畝と畝の間の通路に置いてたら歩くとき踏むんで。あっという間に柔らかくなってほぐれるんです。それを痩せてるなって思うところとか、野菜を植えるところに持っていくんです。こんな風に、木みたいな硬い茎も草堆肥に変えて使っています。経験の中でうまくいくことを見つけられれることもあるし、いろいろ調べたりします。YouTubeとかも。今は便利な時代やから、色んな媒体から勉強してます。

太材 でもやっぱり自分の畑を知るってのが一番近道かなと思います。どんな特性があるかっていうところ。畝の設計をむちゃくちゃ考えるんですよ。畝って南北で立てるのがセオリーやけど、うちは斜面で傾斜あるやから土が流れちゃうんですよ。僕らは耕さへんし、ずっと表層に肥沃な層を作っていく作業するから、土流れたらめっちゃもったいないので、せき止めるように畝を立てたりとか。そしたら、手前に背高いもの植えたら、後ろ日当たり悪くなるから何をどこに植えようってめっちゃ頭使ってます。虫に関しては今はかなり大変だけど、1匹ずつ補殺しています。自分も他の命を奪って生かされている、自然の循環の中の一員だと実感出来て、このやり方が性に合ってるなと思います。今の社会の生き方は命を頂いているという実感が湧きづらいんじゃないかな?と感じています。そうなってしまうのも当然の事なんですが、スーパーには既に捌かれた鶏肉や豚肉、魚が並んでいます。野菜もしかりです。種を残そうと必死に生きている野菜の生命を奪い、食べる事で僕たちは生かされています。畑では、生命の生き死にを見てその場に立ち合えることが魅力だなと思います。

 

 

 

―  宮崎で学んだことがそのまま奈良の曽爾村で通用するわけではない。農業の技術もだが、そもそもの自然や畑と関わる姿勢を学ばれたのだなと。師匠との関わりはまだ続き、農家さんたちとの新しい関係も生まれる。

 

太材 わからないことがあれば師匠に電話して相談します。これこうなんですけど、そっちどうしてます?とか聞いたら、めっちゃ考えて教えてくれます。師匠以外にもそういう仲間も何人か九州にいるんで。福岡とか、宮崎はもちろん。半分自然農で半分鶏糞入れてる人とか、他みんないろんなやり方でやってはる。日々、実験しながらみんなやってるから、お互いデータが共有できるんですよ。一回で、4、5人分にあるからすごく助かる。でも、慣行農法とかも全然関係なく、いろんな人に聞くようにしてます。あんまり凝り固まったらよくないと思ってて。絶対その人なりのやり方があって、そのいいとこをどんどん吸収していきたいと思ってて。そこに変な壁は作りたくないなって思っています。ここら辺のおっちゃんたちにもいっぱい聞いてます。いつ植えたらいいですかって聞くと、祭りがあるから祭りの前に植えたらうまくいくねん、とかこの地域特有の時期を教えてくれはるんですよ。自分で調べてこの時期かなと思って植えてみたら、ちょっと早かったとか実際あったりするんで、ここら辺の人に聞く。それが一番早いんですよ。絶対聞いた方がいいと思う。分からんもんは分からないんですもん。なんぼ考えても分からへんし。失敗したらまたその1年後にしかやり直せないから。家庭菜園でやってはる人も何年もやっててすごいよく分かってはるし。農業だろうが家庭菜園だろうがもう関係なく聞きます。

 

 

 


(続く)

 


Hello Hello

今月は特別に土曜日開催の
ファーマーズマーケット。

売り上げを小児がん支援活動に寄付する。レモネードスタンドが登場致します🍋
月ヶ瀬のはちまつ養蜂場のはちみつ入り🍯です。
理解が深まったり、知って頂く機会にさせていただきたいですし、是非お立ち寄り下さい。

以下、出店して下さる 「HELLO HELLO」さん(保育士さんとママさん有志のグループです)よりメッセージです。

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今回私たちは、小児がんという病についての理解が広がること。向き合う方たちへの想い、色々な病気があることを知ってもらうことを願って、レモネードスタンド活動 をスタートします。

日本で小児がんにかかる人は、年間約2500人。 1歳から14歳の子どもの死亡原因の第一位にもなっている、身近な病気であることを知りました。

こうしている今も、案外そばに、懸命に命と向き合い、生きるに向き合う子どもや、その家族がいる。そのことを知った私たちにできることはなんだろうと考えました。

今回私たちは、小児がんという病についての理解が広がること。向き合う方たちへの想い、色々な病気があることを知ってもらうことを願って、レモネードスタンド活動 をスタートします。

自然の大きな循環の中にある、わたしたち。互いに関わり合う中で変化しながら動き、生きている。少しでも心地よい循環が生まれて、笑顔が増えるように。子どもたちが安心して生きていける循環を生み出していけるように。

1杯のレモネードでできる支援があります。賛同いただけると嬉しいです。

まだまだ暑さ厳しいですね。 さっぱりとしたレモネードドリンク、一緒に一杯、いかがでしょうか。

マーケットで お会いできるのを楽しみにしています♪

 


 

一年前に小児がんの治療を頑張っている、
身近な一人の子に向けて短編映像を作ったのを思い出します。
youtubeで病室で見てもらって、少しでも元気になってもらえたらと思いまして。
その時は有機農業のつながりでした。

今回は、4人いるうちの下の子のつながりで、
csaの保育士のお客さんからの提案で実現します。

本当に身近ですが、
想像しきれないですが、
子育てするものとして他人事ではいられないですし、
日々の当たり前、日常も個人的にひっくり返ります。
あらゆる個人的な不安も、不満も、不平も、愚痴も、妬みも
持ち続けることが恥ずかしいことに変わります。

何かの間違いだと何度思ったか。
お父さん、お母さんとずっと一緒にいたい。
子供とずっと一緒にいたい。
その願いが叶えられて欲しいです。


夏季休業

今年の夏季休業は、

8月12〜15日です。
お盆明けはとうもろこし、ぶどうなど販売予定です。

今週は有機マークの有機スイカ販売中。

無添加アイスキャンディー好評。
すもも、やまもも、パイナップル、イチゴなどなどあります。

その日食べる野菜をファームスタンドで少しづつ買って、
帰りに無添加アイスのお客さん。
CSAをピックアップする時に
お母さんにアイスキャンディーを買ってもらう
夏休みの子供。

毎日暑いですが街場のいい風景だなぁと思います。


はじまりの挨拶

 

 

世話人からはじまりの挨拶!!

感謝『夏編』 秋へとつづく!?

#土を感じるミニマーケット
#農業の話しをしよう

都市と街と里は地続きでつながっている。 都会でも最高峰の農業の話しをみなさんと。 この企画は「環境再生型有機農業」の重要性を広げようとされているパタゴニアさんと 草の根の市民活動として、有機農業や自然農法が置かれている状況の改善を目指す 五ふしの草とで準備させて頂きました。 僕(五ふしの草)が、以前にパタゴニア日本支社を作られた藤倉さんとお会いした際に 「どの生き物にとっても“食べること”は基本です。」という言葉をお話しして頂いたのが、 事の始まりだったように思います。 お会いした時、“草の根活動家のためにツール会議”という場でしたが、 環境団体の方々がたくさん集まっていました。 まだ環境問題や社会課題と「食」との関係性への理解が比較的浅い頃でした。 しかしファーマーズマーケットの代表として参加した僕と、 相部屋で同室だった新潟の有機農家さんだけが実際に食に携わるものでしたので、 環境問題と社会課題に大きく影響を与えている「食」にフォーカスした藤倉さんの言葉は、 僕たちの胸に深く響いたことをよく覚えています。 そこから十数年。 酷暑が続く中、この場所で、こういった場面で「本当の農業の話」を みなさんとシェアできたことに感謝します。 人間と自然が共生し、再生していく農業から学ぶ。 そのことを求めていたストアーで働くスタッフさん、 僕との間で不思議とバトンが繋がり、 この機会を得ることができました。お力添えいただいた方々に改めて感謝です。 さて私たちのライフスタイル。我々を取り巻く食のネットワーク。 グローバルな時代、気候危機、テクノロジー、AI、少子化などなど。 言い出せばきりがないですね。 私たちが進む暮らしは健全かどうか?農業はどうだ?議論は尽きません。複雑で多種多様です。 しかし今回はそういった大きな話、文脈への大きな対策の話ではなく、 別のアプローチの可能性を体験しました。 人と自然の接点に日々身を置き、日々調和しようとする二人(生産者)の人生や暮らしから、 具体的に出てくる言葉をシェアし未来に役立てていこうというもの。 2020年代の小規模農家さんたちは、 現実として一番に異常気象の影響を受け続けています。 さらに置かれている様々な環境の変化もスピードを増しています。 例えば、7~8年前は、カメムシなど害虫の被害が多かった。 4~5年前になると、イノシシ、鹿、猿の影響で現場の方々は苦しみます。 そして昨年、一昨年あたりからは、アライグマ、ヌートリア、穴熊などの被害が深刻です。 関西では、地形的により細かく、風土に分かれ、 農業観や技術、継承、アプローチが存在します。 気候危機にも獣害にも各地で様々な知恵や工夫が今試されいるところです。 その中でも、中堅として小規模で長く自立され、 経済とも繋がり、地域や自然環境とも深く繋がる、 お二人の農家さんに今回お越し頂きました。 とりわけ森へ還り自然栽培(無肥料栽培)を行う。次に繋ごうとされていることは、 小規模農家さんの中でも最先端な仕事ではないかと個人的に思います。 僕自身もお二人の自然観と死生観を、シンプルに余計な情報を取り払った状態で、聴かせてもらえたことが幸せです。 都市と街と里は地続きでつながっている。 次の時代に最善のバトンを渡そうとしている皆さん。 都市の方、街の方、里の方。 それぞれの立場、課題を理解し、学び合える学校のような、連携の場に育てていきたいです。

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写真:@b.riho